「甲子園がないから野球が楽しかったのかも」元球児の作家が見た「甲子園がなかった夏」(2)
8月29日に智辯和歌山高校の優勝で幕を閉じた全国高等学校野球選手権大会(以下、夏の甲子園)。
部員のコロナ感染による出場辞退や度重なる雨天順延がありつつ、なんとか全日程を消化した形だが、こうなると中止となった昨年の3年生の無念が今あらためて際立つ。
作家・早見和真さんの『あの夏の正解』(新潮社刊)は、春夏ともに甲子園が中止になり、野球をすることの目標と意味を根底から揺さぶられた昨年の3年生の姿に迫るノンフィクションだ。彼らはどのように甲子園の中止を受け止め、甲子園のない夏を過ごしたのか。現場での取材を通して球児たちとすごした時間について、早見さんにお話をうかがった。その後編をお届けする。(取材・記事/山田洋介)
■「甲子園がないから野球が楽しかったのかもしれない」
――この本の一つのハイライトになっているのが、甲子園が開催されないことが決定した5月20日に、監督が選手たちにそれを伝える場面です。早見さんは済美高校でその言葉を聞かれたと思いますが、自分ならばこんな言葉をかけるという考えはありましたか?
早見:なかったです。だから両監督が何を語って、選手たちがどんな顔をするのかに注目していました。
あの時必要とされていたのは、選手たちを納得させられる言葉だったはずです。でも、そんな言葉があるはずもない。実際、5月20日の時点では済美の中矢監督も、あとで聞いたところでは星稜の林監督もありがちな言葉に終始していましたし、選手たちも報道陣の手前聞き分けのいい顔をしていました。あの時点ではあまり意味のあるやりとりはなかった。
だけど、済美は監督が話をしたあとで、3年生だけで室内練習場に行ってミーティングをしたんです。僕はそこには立ち会っていませんが、あとから聞いた話だとものすごく紛糾したらしいです。
――3年生からしたら、簡単に納得できるはずないですよね。
早見:その日、済美の3年生は練習に参加したくない人は帰ってもいいと言われて、練習するかしないかは本人たちの判断に任されたのですが、何人も帰っていく子がいました。それはそうですよね。甲子園がなくなったのに練習する意味がそんなにすぐ見つかるはずがない。監督が選手に言葉をかける場面よりも、帰っていく彼らの姿の方が現実を物語っていると感じました。
ただ、矢野泰二郎という選手(現・愛媛マンダリンパイレーツ)をはじめ、上で野球を続ける意欲がある選手は全体練習に参加していました。その切り替えの早さは大したものだなと感心しました。
――星稜高校の内山壮真選手(現・東京ヤクルトスワローズ)も印象的でした。甲子園がなくなっても野球への取り組みや主将としての態度にまったく乱れがないという。プロに進む選手のすごみを感じました。
早見:彼は本当に揺るがなかったです。ある本の取材で20人近くの政治家にインタビューをしたことがあるのですが、誰と会う時もそんなに構えることはありませんでした。ところが内山選手にインタビューする時は、こっちも本気で行かなきゃ見すかされると思わされるところがありました。前の晩からスイッチをいれておかないと、という感じで。
――独自大会への臨み方も興味深かったです。両校とも最終的には3年生を優先して試合に出すのではなくて、下級生も含めた「ベストメンバー」で戦う決断をします。私はこれが正解だった気がしますが…。
早見:これは何が正解だったかはわからないです。甲子園で行われた交流試合で星稜と対戦した履正社はオール3年生で、ベストメンバーで臨んだ星稜に10-1で大勝しました。この結果だけ見ると3年生が持っている勢いが勝ったという見方をすることもできます。
――星稜高校も済美高校も、甲子園への道が断たれても3年生が一人も脱落せずに活動を終えることができました。これはある種の同調圧力がはたらいた結果のように思えて、個人的にはあまり肯定的に捉えることができませんでした。この点についてどうお考えですか?
早見:5月20日の時点では、何人かは辞めるだろうなと思っていましたし、もっと言えば「辞めてほしい」とさえ思っていました。そうなったらその子も追いかけて、最後の夏をどう終えるかを自分の目で見届けたいなと。
でも、両校の現場を見ていて「辞めないだろうな」というのもわかっていました。「同調圧力があるから」という意見に反論することはできませんが、5月20日の時点で残りはわずか3カ月だったんです。「あと3カ月ならがんばってやり切ってしまおう」という考えも否定されるべきではないと思います。本心ではやりたくないけどやっていた子もいたとは思いますが。
――やりたくないけど、どうせあと3カ月だから、と。
早見:そうです。済美高校のある選手に当時の心境を聞いたら、「毎日やる気になる奴が一人増え、二人増えとなっていって、そのたびに『裏切られた』と思っていた」と話していました。あまりに率直すぎて笑ってしまいました(笑)。
ただ、やりたくないけど辞めるにやめられなかった子はいたかもしれませんけど、最後までやって失敗したと思っている子はいないんだろうなと見ていました。
――済美高校は愛媛県の独自大会の準決勝、星稜高校は甲子園での交流試合が3年生の最後の試合になりました。終わった時の彼らの顔を見てどんな印象を持ちましたか?
早見:これはもう、みんな見事にやり切った顔をしていました。そこもきちんと見極めたいと注意深く見ていたのですが、ベンチ外の3年生も含めて「やらなきゃよかった」という顔をし ている人は一人もいませんでした。
でも、こればかりはわかりません。その場のムードもありますから。だから、10年後、20年後に彼らにもう一度話を聞きにいくことが、僕にとっての「宿題」だと思っています。
もしかしたら僕の取材に対しても、本音を明かさないといけない雰囲気に流されて「本音っぽい意見」を言った子もいたのかもしれませんし、何が本音なのか本人たちだってわかっていなかったかもしれません。だからこそ10年後、社会のど真ん中に立っている彼らに「ぶっちゃけ、あの時どうだった?」と聞いてみたいんですよね。
――野球が好きな人、大学や社会人、プロに進みたい人は甲子園があろうとなかろうと練習をするわけですから、言葉は悪いかもしれませんが、甲子園がなくなることで物事がシンプルになる気もしました。となると、甲子園とは一体何なのか、という疑問も浮かんできます。
早見:僕もずっと考えていました。もちろん、それを望んでいたわけではありませんが、仮にコロナで3年間甲子園がなくなったら、日本の高校野球は劇的に変わるんだろうと思っていました。3年間甲子園を一度も目指せなかった世代、そして甲子園で野球をやっているお兄さんたちに憧れる中学生が一人もいない世代ができるということですからね。再開した後の甲子園の見られ方も変わるだろうと。
その時に、まったく新しい高校野球が生まれるのかもしれませんが、この国における高校野球が持っているある種の「特別性」は失われるのかもしれません。ただ現状を見ると、やはり良くも悪くも化け物のような存在になってしまっていますよね、甲子園って。
――世間の関心度やマスコミの取り上げ方を見ても怪物的ですよね。単なる「部活の全国大会」以上の存在になっていると感じます。
早見:僕も高校野球をやっていた頃に「全国大会に出たい」という言葉を使ったことはなかったです。「全国大会」ではなく「甲子園」なんですよね。現役時代からそういう大きくていびつな存在として甲子園を捉えていました
その意味では、済美高校の山田響選手が言っていた「甲子園がないから野球が楽しかったのかもしれない」という言葉は真理だと思います。高校生がここまで考えられるのはすごいと思いましたし、うらやましいとも感じました。
――2020年の甲子園が中止になったことで、今高校野球やっている人は来年以降また中止になるかもしれないという不安をどこかで抱えながら毎日を過ごすことになります。彼らにメッセージを送るとしたらどんな言葉になりますか?
早見:それは去年も今年も来年も関係なく、とにかく納得して高校野球を終えることを自分に課してほしいです。高校生の3年間でなかなかそれができないのは僕自身もよくわかっていますが、流されるまま毎日を過ごすのではなくて、必死に自分の頭で考えて、自分で選択することを繰り返して最後の瞬間を迎えてほしいと思います。
――自分自身が納得できるラストを目指すのは、甲子園を目指すよりも難しいことかもしれませんね。
早見:そうですね。だからこそ去年の3年生たちはものすごく尊い挑戦をしたのだと思います。甲子園も、甲子園につながる地方大会もないなかで胸を張って高校野球を終えるイメージなんて誰も持てない、特異な状況での3カ月だった。その時間を過ごした経験は、甲子園を当たり前のように目指していた僕の高校野球生活よりもはるかに尊い。取材中はずっと畏怖しながら彼らと向き合っていた感覚があります。
(取材・記事/山田洋介)