【「本が好き!」レビュー】『脳を究める―脳研究最前線』立花隆著
提供: 本が好き!小脳の謎を探る
これまでは運動調節専門の器官だと思われていた
小脳がそういう機能を持つということ、それ自体は正しい。小脳が損傷されると、正常に歩くことができず、酔っぱらいのようによろけながら歩くことになる。
歩くという動作をスムーズに行うためには、たくさんの筋肉が協力しあい、調和を保って動かなくてはならないが、小脳が損傷されるとそれができなくなる。
あるいは、発声などにしてもそうである。有意義な発声をするためには、喉、舌、唇、口蓋などがいっしょに精妙に動かなくてはならない。しかし、それができなくなるのである。また、手をのばしてものをを取ろうとしても、その手前で手がとまってしまったり、行き過ぎてしまったりする。
視覚は正常なのに、手の働きを正しくコントロールできないのである。動いている手を止めようと思っても止まらなくなったり、ブルブル震えてしまったりする。
最近、小脳がもっともっと高次の機能を持っていると考えられる現象が相次いで報告されている。
たとえば、最近の「ブレイン」誌に出た論文には、小脳損傷の結果生まれた特異な言語機能の障害の例が報告されている。
患者にある名詞を提示して、それに関係がある動詞を考えてもらう。たとえば、「ケーキ」なら「食べる」、「木」なら「登る」、「お金」なら「使う」などと答えればよいわけである。正常な人なら、子どもでも簡単に答えられる問題である。ところがこれが小脳を損傷するとできなくなり、トンチンカンな答えしかできなくなったという。ここでは明らかに、小脳損傷によってメンタルな能力が破壊されているのである。
メンタルな領域にも小脳は深く関与
通常のシステムでは、指令どおりに制御対象を動かすためにフィードバック制御が行われる。ところが、人間の行動においては、大脳が行うフィードバック制御では間にあわないことが多い(自転車を頭で乗りこなそうとしても、「自転車がこっちに傾いたから、体の重心を反対側に移そう」などと考えているうちに倒れてしまう)。そこで小脳が学習したパターンにもとづいて、体の動きをあらかじめ自動的にシミュレートし、その予測にもとづいて体を先に動かすことができるのである。
体の現実の動きより先に、小脳シミュレーターから体を動かす指令が出るということは、すでに微小電極によるモニターで確認されている。
小脳というのは不思議な器官である。小脳は大脳の下部、脳幹の後ろの方に、コブのように張り出した小さな器官で、重さにしてわずか130グラム、大脳の10分の1しかない。それなのに、ここには、大脳の神経細胞よりはるかに多くの神経細胞があるのである。脳の神経細胞の大部分は、小脳にあるといっても差し支えないくらいである。
運動の調整をになっている3万個のコンピューター
人間の小脳には、約1500万個のプルキンエ細胞があるといわれる。それが全部組み合わさって一つのコンピューターを作っているわけではない。小脳は幅数百ミクロン、長さ数ミリメートルの微小帯域に分かれており一つの微小帯域には約5百個のプルキンエ細胞が含まれている。すると、人間は、三万個の小脳コンピューターをもっていることになる。それが、どう使われているのか。
先に述べたように、一般には、小脳は運動の調節の役をになっていると考えられている。その場合、小脳コンピューターはどう用いられているのか。
「前庭眼反射といって、頭を左右に振ると、それにあわせて眼球が頭の動きと反対方向に動いて、ものがブレないで見えるようになるという反射運動があります。
揺れる電車の中で本を読んでも字がブレないで読めるのはこの反射があるから。こういう反射はすべて、ループ状の神経回路でになわれています。そのグループの途中に、小脳コンピュ-ターが補助的にはいっているわけです。そして、もし網膜に映じた像にブレが生じていたりしたら、早速その誤差信号が取り出されて小脳コンピューターに入り、ブレが生じないように反射弓の回路を調節する。
これと同じように、あらゆる反射に小脳コンピューターが補助的に入って、動きを調節している。
大脳が命令して随意運動が行われる場合も同様で、やはり小脳コンピューターが入って動きを正確にかつスムーズにします。大脳が随意運動をするときには、大脳はその結果をフィードバックして、自ら正しく動いたかどうかをチェックしながら慎重にやっていくわけで、それを小脳が脇からモニターしていて、片端から学習して記憶していきます。
そして小脳が記憶してしまうと、もう大脳の慎重なフィードバックは無用になって、小脳まかせで無意識のうちに行動できるようになる。これは、自転車に乗るのを初めて覚えたときのことを思い出すと合点がいく。初めは、頭で自転車を乗りこなそうとして、失敗ばかりする。失敗を繰り返しているうちに、体が覚えてしまって、何も意識しないで自転車を乗りこなせるようになる。
メンタルな領域にも小脳は深く関与
従来はもっぱら大脳がやっていると考えられていた知的活動にも、習熟するうちに自動的にやってしまっていることって、たくさんある、しゃべること、字を書くこと、簡単な計算。いずれも初めは大脳のフィードバックでたどたどしくやっていたのに、そのうち意識しないでやってのけるようになる。こういうものはみんな小脳コンピュータが大脳になりかわって、あるいはそれと協力してやっていることだと考えてもいいんじゃないかと思うようになった。
ちょっと参考にしたいことがあってまたこの本を出してきたのだが、1996年刊なので 今ではもっと進んだ研究結果が報告されているだろう。
身体の謎は病んでみて初めて身近に感じられるのかも知れないが、これを科学的に解明しようという脳研究の分野では、とくに上述のメンタルな部分での働きに関心をもつ。脳という巧緻な部品回路の中に、人の尊厳や人生の幸不幸のとらえかた、心というものの働きまで潜んでいるように思われるから。
大脳の働きについては話題になることが多いが、小脳については、やはり運動機能や、おしゃべりな人は発達しているんだって、などと簡単で大まかな理解しかなかった。ここで小脳が取り上げられているのをとても興味深く読んだ。 小脳は偉い(モトイ小脳も偉い)、だから頭の後ろに大切にしまってあるのかな。
謎に満ちた身体の仕組みは脳に限らず人間が踏み込めない深みにまで広がっていて、ただただ不思議なものだと実感する。 引用が多くなってしまっているが、特に小脳の部分が興味深かった。専門知識はなくても、知ることが浅瀬であっても、立花さんの本からは読む楽しみが得られる。
知の巨人といわれた方は亡くなられてしまった。感謝してご冥福をお祈りします 合掌。
(レビュー:ことなみ)
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