【「本が好き!」レビュー】『山の人魚と虚ろの王』山尾悠子著
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現実的な話が進んでいきながら、少し違和感のあるシュールな展開に読み返しながら首を捻っていると、一気に現実離れした世界に連れ込まれ、これは夢の中の話かと思いきや、いつの間に現実に戻っている。このようなゴールのないジェットコースターのような展開が続いていく。
どれが夢(あるいは幻想)で、どれが現実なのかも定かではないのですが、夢と思われる部分を夢だろうと私が思う根拠は、はなはだ心許ないのですが、私が見る夢の一種の構造ととても良く似ているのです。それは私の知る人物、例えば高校時代の同級生などが、全く違う属性で出てきたり、そもそも覚醒しているときには意識の端にも上らない、それこそ数十年も思い出したことすらない関係性の薄い人物が、夢で思わぬキャラクターとして登場したりする構造なのです。他人がどのような夢を見るのか与り知りませんが、山尾さんもそのような夢を見るのならこの小説は夢を意識して作られた可能性が高いような気がします。
話は逸れますが私の好きな映画でデビットリンチの「マルホランドドライブ」でも同じような構造が見て取れます。主人公が想像するある役割の人のイメージ、例えばハリウッド映画界の黒幕やイタリアマフィアはこのような人物でこのような行動をするに違いないという思い込みや目にする人物の見た目のイメージが潜在意識に蓄積し、それが夢(死ぬ間際の走馬燈のようなものかもしれない)で主人公のイメージ通りの役割で登場するというものです。
山尾さんの小説は抽象画に似ていると感じます。私は絵の専門家ではありませんが、普通に考えると抽象画は写実的な絵に比べれば技術云々や理解するというよりも、好きか嫌いかによる評価の割合が多いと思われます。しかし少なくとも評価されている抽象画というものは何人もの人を惹きつけるものがあるはずです。でなければそれは単なる素人の落書きとなってしまいます。
山尾さんの小説を好きか嫌いかと問われればもちろん好きと答えますが、どこが好きかと問われても言語化するのはとても困難です。部分的にこのようなところが好きとは言えても小説全体としてはっきり言語化するのは私には無理です。しかし一定数の、私のような人間がいるからこそ小説家として成り立っているわけで、そこには必ず何かがあるはずです。
一つだけとても気にいったというか気になる部分を紹介します。
給仕に腕を掴まれた妻はぎゅっと固く目をつむり、眉を顰め、緘黙状態に陥った子供のように口の両端を下向きに押し下げていた。
「着替えようと思いますの」振り向いて言う妻の唇の両端が下へ押し下がるので、私はその場に留まったが、眉を寄せぎゅっと目を閉じた顔の下半分は模造毛皮の襟巻がずれて隠れていたが、口の両端を激しく下へ押し下げているだろうことは容易に想像できた。
いったいどういう状態かよく分かりませんが、何かとても若妻が可愛く思えます。
(レビュー:darkly)
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