だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『昭和二十年夏、僕は兵士だった』梯久美子著

提供: 本が好き!

終戦直前昭和二十年の夏。
この苦しい戦争が間もなく終わるということを知る事もなく戦場に立っていた20歳前後の若者たち。
生還した彼らに60年以上の年月が流れ、現在それぞれの分野で第一人者となっている5人に梯久美子さんがインタビューする。

ずっと読みたいと思いながら放置してきたこの本を今年の1冊目に。
梯久美子さんのルポにはこれまでも本当に色々な事を教えて貰ってきた。
自分では知りたいと思いながら触れる事の出来なかった事ばかり。

あの頃兵士だったのは、俳人・金子兜太、考古学者・大塚初重、俳優・三國連太郎、漫画家・水木しげる、建築家・池田武邦の5氏。

東京帝国大学を繰り上げ卒業し日本銀行入行。その後海軍主計将校としてトラック島へ赴いた金子氏。
部下は肉体労働で生きてきた者が多くやくざ者もいる。博打、男色となんでもありの海千山千の彼らの中に24歳の若造が放り込まれた。
既に米軍に黒焦げにされたトラック島を死守せよとの命令だったが、米軍はマリアナ諸島に向かっていて上陸はない。トラック島は放棄され、補給を絶たれ、以降終戦まで自活するしかなく、飢えとの闘いが続く。
そんな生活の中、金子氏は句会をする。
海軍詩人・西村皎三との出会いも語られる。このサイパンで亡くなった詩人のことは名前を知る程度だったので今回読むことができよかった。
生活はいつも死と隣り合わせ。
生き残った金子氏は「残生」を死者と共に再出発する。

旧制中学を繰り上げ卒業し、17歳で海軍省を受験した大塚氏。
本当は大学に進み勉強がしたかったという。しかし、当時の周囲の風潮がそんなことを許さなかった。
お坊ちゃんだった彼は横須賀海兵団入団後搾取され、殴られ、半年耐えに耐える。
東京大空襲を目の当たりにし、上海へ転勤。乗っていた寿山丸が襲われ逃げ惑う中自分にしがみついてきた人々を本能で蹴り落としたという。
自分は人を殺した。
漂流した彼は済州島に住む朝鮮人に助けられ親切を受ける。
大塚氏は戦局の悪化の中「神国だとか神風だとかそんな曖昧なことではなく、本当の歴史が学びたい」と考え、終戦後生き残りそれならばと考古学の道に進む。
終始穏やかで率直に語るという彼の人生はかなり私には衝撃的だった。

徴兵忌避で女性と大陸に逃げようとして捕まりその後中国大陸の前線に送られた三國連太郎氏。
ラバウルに出征しマラリアを発症したり爆撃で左腕を失ったりしながらも現地の人に親しみ生き延びた水木氏。
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄特攻と生き延び大勢の仲間を水葬してきた池田氏。
どの方もありのままを梯さんに静かに語り、どの方も亡くなった戦友たちを今もずっと忘れず共に生きている姿が印象的だった。

ようやく読むことができ、まずはよかった。
どの方の話も非常に「非常」であり、私が本当の意味で彼らの語りを理解するにはもう何回か読みかえす必要があると思う。

(レビュー:michako

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本が好き!
昭和二十年夏、僕は兵士だった

昭和二十年夏、僕は兵士だった

南方の前線、トラック島で句会を開催し続けた金子兜太。輸送船が撃沈され、足にしがみついてきた兵隊を蹴り落とした大塚初重。徴兵忌避の大罪を犯し、中国の最前線に送られた三國連太郎。ニューブリテン島で敵機の爆撃を受けて左腕を失った水木しげる。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄海上特攻を生き延びた池田武邦。戦争の記憶は、かれらの中に、どのような形で存在し、その後の人生にどう影響を与えてきたのか。『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(大宅壮一ノンフィクション賞)の著者が綴る、感涙ノンフィクション。

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