だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『食べることと出すこと』頭木弘樹著

提供: 本が好き!

ラジオで聞いた著者・頭木さんのお話がとても素晴らしかったので、手に取りました。

潰瘍性大腸炎は患者によって個人差の大きい難病で、日常生活に支障がない人もいれば、頭木さんのように長い入院生活に厳しい食事制限が必要な方もいる。
頭木さんは二十代の頃に発症して、その後、13年にも及ぶ闘病生活を送った。

直腸鏡で中を覗いた医師が「うわっ」とのけぞるような腸の状態で即入院。腸をできる限り安静に保つ必要があったので、絶食が始まった。
もちろん栄養を取らないと命が保てないので点滴で栄養を補給する。普通の点滴ではなく、濃い栄養素を心臓近くの血管に直接送る。
すると空腹は感じない。だけれども「口から何も入ってこないのに、栄養は足りているということに、身体自身が戸惑っている。(中略)何かが不一致で、違和感がある。身体のどこかが『?』を発信している」

「飢え」から「栄養不足による飢え」を引いたものだ。
それを引いてしまったら、後に何も残りそうにない。ところが、残るものがあった。

まず、胃。空腹は感じていないのに、何か手持ちぶさたというように食べ物を求めていたという。顎は噛むこと、喉は何かを飲み込むことを求めていた。

「ああ、何か飲み込みたいなぁ」なんて、普通はあまり思わないのではないだろうか。うわばみではあるまいし。でも、そういう欲求を強く感じた。

一番強烈だったのが「舌が味を求めたこと」。口腔内全部が、何か味を求めている。
長い絶食が解け、久しぶりにヨーグルトを口にした時のこと。

「口の中で味の爆発が起きた!」

そばで見ていたご両親が驚いて思わず立ち上がったというから、相当な衝撃を表したのだろう。
使わないと鈍感になるのではと思うけれどその反対で、舌はとても味に敏感になっていたという。

退院後、13年間、頭木さんは「豆腐と半熟卵とササミの日々」を送った。普段の食事のことだ。そして、味ではなくて「噛み心地」に嫌気がさした、という。

大腸に噛みカスがいかなければいいのだ、と噛むだけ噛んで、飲み込まずに吐き出す、ということを試したことがあった。すると、また身体から「?」の信号が発せられる。「口では味がしたのに、身体の中には何も入ってこない」という信号の不一致。
「これはまずいことが起きそうだと感じ、噛み捨てはすぐにやめた」

意識でなんとか現実をつくろっても、身体の器官は騙せない。普段黙って身体の中で動いている器官が、こんなにも細やかに訴えを起こすことに本当に驚いた。その違和感がこんなにも静かに、そして的確に言葉にされていることにも。

病気が人生に踏み込んでくるまで、人は病気を「治るもの」と思っている。
でも治ったように見えても、病気になる前とは全然違ってしまっていることがある。病はずっと身体の中にいて、共生を余儀なくされる。人と一緒に食事をすることが難しくなったり、舌が敏感になって素材がよいものでないと食べるのが苦痛になる。

長い闘病生活を送り、その結果食事制限が必要なのだから、食べられないものがあることを人は受け入れそうなものだけど、そうでもないらしい。
出されたものが病気のため食べられない。そう言って断っても「少しだけでも」と勧められる。病を知らない人と病のただ中にいる人との間に存在する分断。歩み寄れるのは病を知らない側だけだ。

この本の中には様々な作家の言葉がたくさん引用されているのだけど、その中のひとつ、川端康成の言葉。

大病をして死を身近に感じると、深くたしなめられた気持がして、それまで重大に思えたことが、そうではなかったと悟るようになるものだ。

世界がコロナを病んでいる時、静かな、そして発見に満ちた言葉を読むのは大きな喜びでした。

(レビュー:あられ

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

本が好き!
食べることと出すこと

食べることと出すこと

人間は、食べて出すだけの、一本の管。
(だが、悩める管だ。)
個性的なカフカ研究者として知られる著者は、大学生のときに潰瘍性大腸炎という難病に襲われた。
食事と排泄という「当たり前」が当たり前でなくなったとき、世界はどう変わったのか?

この記事のライター

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