だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『第九の波』チェ・ウンミ著

提供: 本が好き!

プロローグで描き出されるチョクチュ市は、海と山に囲まれた、小さな美しい町だ。
しかし。
この町は、石灰岩採掘を一手に担うセメント会社のおかげで盛り立っている町で、町の人たちは、直接間接的にこの事業に関わっているし(下請け会社の社員として現場で働く労働者の暮らしは酷いものだ)利権やら理不尽な差別意識やらも見え隠れする。
また、長く現場で採掘の仕事をしてきた老人たちは、多く肺をいためていて、苦しみを緩和するために薬漬けになって暮らしていた。
この町は今、大揺れに揺れている。原発誘致をめぐる市長のリコール運動で町は真っ二つに割れているし、薬師如来を本尊にするカルト宗教が、じわじわと怪しい活動を広げている。

保健所の薬剤師ソン・イナと議員秘書ユン・テジンは、嘗てソウルで一緒に暮らし、結婚するつもりだったが、別れた。
ともにチョクチュ市で生まれ育ち、いまは再びこの町に戻ってきている。二人それぞれに(身体にも心にも)負った傷はあまりに深くて、その傷のために誰よりも互いを理解しあっているはずで、逆に、そのために、決して一緒にはいられない。
二人を見ていて、ふっと思い出すのは、少し前に読んだ『素数たちの孤独』の中に出てきた「双子素数」のことだ。自然数の並びの上で、いつもほとんど隣にいる孤独同士、それなのに決して手をつなぐことができない(間には必ず偶数がいるから)。
ああ、ここにも孤独な双子素数がいる……そう思った。
そこに薬学部の学生で、兵役免除の公益勤務要員として、ソン・イナの職場に現れたのがソ・サンファ。
彼もまた、深い傷を抱えた孤独な素数だった。

息苦しいほどのこの閉塞感ったら。
三人が抱えた傷があまりに深くて、あまりに寂しくて、苦しくて。
そして、この寂しさをさらに深くするのが、この狭い町が抱えた問題。町の窮屈な狭さが、三人を三様に捕らえて閉じ込めているように感じた。

あるとき、ソン・イナのところに刑事がやってくる。
ひとりの老人が亡くなったが、毒殺の可能性がある。老人とソン・イナにはある繋がりがある。彼女は重要参考人として同行を求められる……
ゆっくりとミステリアスな展開になっていくが、ゆっくりだから、余計に不安をかきたてるのか。
この事件は、芋のつるのように、ずるずると町の暗部に繋がっていく。
そして、三人の運命もまた、大きく揺れて動くのだ。

他人事ではないや、と思うようなリアルなあれこれの不正、忖度、圧力、狎れあい、果ては……。物語はひとつの告発でもあると思う。
あるいは、(フィクションではあるが)時代の記録でもあると思う。

町が大きな黒い穴をあけて、そのなかに人を引き摺り込もうとしているようだった。
だけど、この暗がりに風穴を開けるのは、その暗がり自身なのだ。
暗い穴から吹いてくる風はどろどろと気持ち悪い。毒を孕んでいる。あるいは刃物のようにぶつかるものを切り裂こうとする。
けれど、穴は穴だ。閉塞感の中心に風を通す。
静かな孤独たちは、おとなしくはない。
私は、登場人物たちの思いがけない強さに打たれながら、風の行く先を見守っている。

(レビュー:ぱせり

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第九の波 (韓国女性文学シリーズ8)

第九の波 (韓国女性文学シリーズ8)

この作品は、2012年、江原道にある町で実際に起こった事件をモチーフにしているが、ルポや告発小説とは異なる。ソン・イナ、ユン・テジン、ソ・サンファという主人公を通して、一見平和そうな田舎の小さな町の裏側を生々しく描く。そこには富の分配から疎外され、不条理な生活を強いられた人々がいる。著者のチェ・ウンミは、捗州を金と権力によって手中に収めようとする者たちが現れるのも、私たちの生きている社会に問題があるのではないかと問い続ける。作品の最後の方でソン・イナが、荒波が押し寄せては引いていく捗州の海岸をゆっくり歩いていくシーンがある。『第九の波』は、それでも私たちはこの社会で戦いながら生きていかなければならないという、チェ・ウンミ文学らしいテーマを垣間見せてくれる。

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