だれかに話したくなる本の話

『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ著【「本が好き!」レビュー】

提供: 本が好き!

このタイトルを見た瞬間に、「大停電の夜に」という東京が舞台の日本映画を思い出した。この映画は天災によって東京が大停電を起こす話で(後の3.11以後の大停電を予言したようだったが)停電により何組かのカップルの未来が変わっていく。

この本のタイトルになった短編小説の停電は工事のための計画的な停電だから、状況としてはむしろピョン・ヘヨンの短編「モンスーン」によく似ている。若いカップルの物語で少し前に子供を亡くしているところまで似ている。でもこちらの物語の方がずいぶんあっさりしていて、アメリカの小説っぽい。

著者のラヒリは1967年にロンドンに生まれ、両親に連れられてアメリカに移住したインド系アメリカ人の女性だという。本人はインドに住んだことはないが、両親のルーツはインド東部のベルガル地方らしい。小説にもベンガルの中心都市であるカルカッタが頻繁に登場する。

(カルカッタは古い英語名で、2001年からはベンガル語のコルカタに呼称が変わっている。でもこの小説は改名以前に書かれたのでここではカルカッタと呼ばせてください。)

実はこのレビューを書く前に本サイトのたけぞうさんのレビューを読ませて頂いた。この中に「ベンガル人の誇り高さ」という一言があった。きっと著者のラヒリはベンガルにルーツがあることを誇りに思っているのだろう。カルカッタには戦前には英国総督府があって、英国によるインドの植民地支配の中心だった。当然、インド独立運動の中心地でもあって、ガンジーの政敵だった反英活動家チャンドラ・ボースや日本に亡命した革命家のラース・バーハリー・ボース(通称中村屋のボース)などを生んだ土地柄だ。だから、独立の際には英国の策略によってベンガル地方はインドと東パキスタン(後のバングラディッシュ)に分割されてしまった。「ピルザダさんが食事に来たころ」はそんな事情が下地になっている。

ラヒリはボストン大学で修士号と博士号を授与されているが、「神の恵みの家」の若い夫婦は新郎がボストンのMIT出身で、新婦は西海岸のスタンフォード大出身だとされている。登場人物の背景として大学の学歴は重要みたいだ。

(僕が初めてボストンに行ったのは市内のある建材用添加剤メーカーの研究所訪問が目的だったのですが、そこで応対してくれたのがまだ若いインド系と思しき女性の研究員で、僕にどこで学位を取ったのかと聞いてきた。もしMITだとか言っていたら対応は違ったのかな?)

「三度目で最後の大陸」はラヒリの父親がモデルと思われる男がロンドン大学を出た後、ボストンのMITの図書館に勤務するために新婦を伴って渡米する話だ。ここで描かれるボストンやケンブリッジの光景はラヒリの学生時代の思い出を反映しているのかも。ここにはハーバードかMITの関係者にしか部屋を貸さないという大家が出てくる。小説で主人公の息子はハーバード大の学生になったという。

この短編小説集にはアメリカにやって来たインド人が多く出てくるが、彼らの多くは親族が住んでいるインドとの繋がりが強く、生活習慣もインド流だ。日本人と似て室内では靴を脱ぐし、肉は鶏肉か羊肉で、牛肉は決して食べない。また魚もよく食する。「三度目で最後の大陸」の主人公はハンバーガーが食べられず、朝食はコーンフレークだった。

肉のことで思い出すのは、30年ほど前、米国在住のインド系の大学教授が来日し当時僕が勤めていた企業の研究所で講演をした時のことだ。講演後に研究所の幹部らが教授を夕食に招いたが、そのレストランはビーフステーキが売り物だった。教授は食べ物にタブーはないのだが、と断りながら一人だけ魚料理を注文した。おまけで同席した僕もちょっとばつが悪かった。

実はこの小説集で僕が一番好きなのは「セクシー」です。これは唯一、アメリカ人の若い女性が主人公で、インド人の男性と彼の奥さんがインドに里帰りしている間だけ不倫をする話です。江國香織の小説ようなどろどろしたところはなくて、スタイリッシュなさらっとした小説です。

この短編集は著者の第一作目にあたり、そのためインド出身というエスニックな要素を強調したのかもしれませんが、エスニックでない部分の方が彼女の小説では重要な要素になっている気がします。例えば作品の中にでてくる音楽は、モダンジャズかクラシックで、エスニックな要素はありません。「神の恵みの家」なんかも新郎新婦の出身地をインドでないどこかにしても(例えば日本にしても)十分成り立ちそうです。

(レビュー:三太郎

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

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停電の夜に

停電の夜に

毎夜1時間の停電の夜に、ロウソクの灯りのもとで隠し事を打ち明けあう若夫婦―「停電の夜に」。観光で訪れたインドで、なぜか夫への内緒事をタクシー運転手に打ち明ける妻―「病気の通訳」。夫婦、家族など親しい関係の中に存在する亀裂を、みずみずしい感性と端麗な文章で表す9編。ピュリツァー賞など著名な文学賞を総なめにした、インド系新人作家の鮮烈なデビュー短編集。

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