だれかに話したくなる本の話

「見えない障害」がもたらす苦悩 高次脳機能障害から見える社会の「困難」とは

■「自分は障害を乗り越えていない」

 
「講演会の感想文とか見てみると、『障害を乗り越えて頑張っていてすごいと思いました』というコメントをいただきます。感想を頂けるのはすごく嬉しいことなんですけど、実際は乗り越えられてないんです。外見だけ見れば健常だし普通に話すこともできるから、そう思ってしまうかもしれないけれど、自分自身としては克服できたと思えてないし、自分の障害を受け入れられているわけでもない」

小林春彦さんは、**「高次脳機能障害」**という障害を持っている。

「高次脳機能障害」はなんらかの要因で脳が損傷して引き起こされる障害で、記憶障害や注意障害、実行機能障害などがある。障害の種類や程度は、脳の損傷部位や損傷の範囲によって様々。

11年前、18歳だった小林さんは脳梗塞によって倒れ、生死の境をさまよった。一ヶ月のこん睡の後に、集中治療室(ICU)の中で目覚めたときには、身体中に管がつながれていた。程なくして両親が面会にくるも両親の顔が認識できず、さらに左半身には麻痺があり、不随の状態だった。

実際、小林さんは、傍目から見れば健常者にしか見えない。

しかし、先天性の発達性障害のような傾向や脳梗塞による後遺症(両眼の視野狭窄、左半身の麻痺、相貌失認、左半側空間無視、左半側身体失認など)を抱えている。

インタビュー中にも、左側を壁にして座っていた。これは左側から話しかけられても認識できないからだという。
 
「僕は関西出身なんですけど、(神戸の)三宮のあたりって人が多いんです。そこを歩いていてぶつかると、『何やお前、目ェ見えとらんのか!』と怒鳴られることがあるんですね。そこで障害者手帳を開いて、視野欠損の文字を見せると、『あ、本当に見えてなかったんや。すまんな』ってなる。コントみたいですけど、なんとなく気まずい空気になります(笑)」  

■「見えない障害」はまだ社会にフィットしていない

 
小林さんは車椅子に乗っているわけでもなく、歩き方がぎこちないわけでもない。抱えているのは、「見えない障害」だ。
 
**「最近は『障害』ではなく、『困難』という言葉を使うようになっています。
高次脳機能障害や発達障害が世間的に認知されはじめたのはここ10年ほどで、まだ社会的に配慮を得難いと感じるときもあります。それが『困難』を感じるときです。優先席を譲ってもらえないとか、そういう小さなことも含めて。

自分も障害者に見られたいと思って、(視覚障害者が使う)白杖を持って渋谷の街を歩いたんです。そうしたら、モーゼの『海割り』のように人が避けていって。『人は見た目が9割』っていいますけど、まさにそうなんだなと(笑)。ただ、白杖を持ちながらスマホをいじっていたりすると、すごく嫌な目で見られるんですよね」**

人は晴眼者か全盲かという白か黒の生き物じゃない。視覚障害にも種類がある。夜盲であったり、強い弱視であったり、小林さんが持つ視野狭窄もその一つだ。環境によっては白杖を持たないと「困難」を感じてしまうこともある。しかし、白杖を持っている人=全盲という外からのイメージは強く、「全盲のふりをしなくちゃいけないのでは」という葛藤があると小林さんは告白する。
 
「こうなると、こちらが周囲の見る目に合わせないといけない。つまり社会に合わせてあげなきゃいけないと思ってしまうんです。障害は0か1かじゃないですし、個人によって違いますから、その中でできること、できないことがあります。自意識過剰と言われればそれまでなんですが…」  

18歳のビッグバン―見えない障害を抱えて生きるということ

18歳のビッグバン―見えない障害を抱えて生きるということ

大学受験を目指していた18歳の春に「広範囲脳梗塞」で倒れ、身体機能と脳機能に重複した障害を抱えた筆者。
3年の闘病を経て一部の障害を克服するが、外見からは困難が分からない中途障害者となる。
いま28歳の筆者は、東大先端科学技術研究センターに従事し、「見えない障害」問題の啓発で講演やトークイベントなど東奔西走する。
「見えない障害」問題を訴える渾身の書