だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『霧が晴れた時』小松左京著

提供: 本が好き!

本書には1963年から73年の間に雑誌に発表された15作品が収録されています。他のアンソロジーに収録されている作品も何作かあり、既にレビューを書いているものもありますが、いつものように、特に印象に残る作品を紹介します。

●『くだんのはは』

間違いなく、傑作です。初読の時には、太平洋戦争末期の時代背景なので、靖国神社がある「九段の母」の話かと思って読み進めていましたが、いまや「くだん」が何なのかは、けっこう知れ渡ってしまい、本作のラスト近くで明かされる正体へのインパクトは弱まってしまっているかもしれません。しかし、細かい伏線の張り方から、徐々にその正体が見えてくる語り口の上手さは素晴らしく、何度でも再読に耐える作品です。これを読むだけでも、本書を手に取る価値はあります。

●『保護鳥』

異国のとある寒村に宿をとることになった主人公は、日本人だと知られると、村人たちから「ニッポンはどうなっていますか?」「ニッポンの数はどうなっていますか?」と質問攻めにされます。とんちんかんな受け答えをしていた主人公は、やがて、それが朱鷺、学名ニッポニア・ニッポンのことだと分かります。そして、この村ではアルプ鳥という保護鳥がいて、朱鷺の保護のやり方が参考になっていると説明してくれます。しかし、アルプ鳥がはっきり写った写真もなければ、どんな鳥かも、誰も詳しく説明してくれないのでした。

アルプ鳥の正体について、事前知識を持っていた方が良い作品ですが、恐怖とサスペンスの盛り上げ方は印象的です。これも、アンソロジーによく選ばれる作品です。

●『逃(ふ)ける』

「旦那...もし、旦那...。ちょっとお話があるんですが...」

こう言って近づいてくるポン引き屋の通称ふけ徳をめぐるお話です。恐怖譚というより、ユーモア譚ですが、題名の洒落ぐあいが最後に分かります。これも、アンソロジーによく選ばれています。

●『すぐそこ』

町への近道と踏んで、山の中を歩きだした「私」は行けども行けども町が見えてきません。途中で会った村人たちは、口を揃えて「すぐそこ」と言うのですが...。

この、いかにもありそうな状況下のカフカの『城』のような話は、途中までの不気味さと不条理感は抜群です。ですが、ラストがいけません。ここでは紹介しない、他の作品でも感じるのですが、小松左京は本質的にSF作家であるせいでしょうか、「説明」する必要のないことを「説明」する作品があり、本作もその一例です。題材は、とても面白いだけに、そういう「説明」がないほうが良かったと思います。その意味で、印象的な作品なのです。

●『霧が晴れた時』

家族四人で、勝手知ったるハイキング・コースを歩いていた「私」は、濃霧に遭遇します。服もびっしょりになるほど濡れてしまいますが、山頂近くの茶屋にたどり着きます。ところが、そこには誰もおらず、おでんの鍋もかまどにかけっぱなしでした。少し待っても誰も現れないので、おでんをつまむことに決めた妻と娘を茶屋に残して、「私」と息子は少し先にあるはずの尾根に向かいます。尾根につくと、急に霧は晴れ、青空が広がります。ところが、茶屋にいたはずの妻と娘は姿が見えません。茶屋の住人も、戻ってきません。警察に連絡するために、下山した「私」と息子が見たものは...。

『すぐそこ』と違い、この作品では「説明」がありません。有名なマリー・セレスト号の言及があるだけなのが、かえって不気味です。

総じて、収録作中SF味の強いものはあまり好きではないのですが、これは個人的嗜好のせいでしょう。小松左京の怪奇小説を知るには、格好の作品集と言えそうです。

(レビュー:hacker

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霧が晴れた時 自選恐怖小説集

霧が晴れた時 自選恐怖小説集

太平洋戦争末期、少年が屋敷で見た恐怖の真相とは!? 名作中の名作「くだんのはは」をはじめ、日本恐怖小説界に今なお絶大なる影響を与えつづける、ホラー短編の金字塔。

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