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【「本が好き!」レビュー】『白が5なら、黒は3』ジョン・ヴァーチャー著

提供: 本が好き!

著者はフィラデルフィア在住の気鋭の新進作家。本作が長編デビュー作。
原著刊行は2019年(邦訳は2021年)だが、物語の舞台は1995年である。

少々変わったタイトル、原題は"Three-Fifth"(五分の三)である。作中に特に解説はないが、訳者あとがきで背景に触れられている。
1789年、アメリカ合衆国憲法、第1章第2条第3項に以下の記載がある。

各州の人口(=下院議員の選出と直接税の課税基準)は、(中略)自由人以外のすべての者の数の五分の三を加えたものとする(Representatives and direct Taxes shall be (中略)determined by adding to the whole Number of free Persons, (中略)three fifths of all other Persons.)

この「自由人」というのは白人、「自由人以外の者」は黒人を指す。直接「黒人」とは言わないが、暗に、黒人の価値は白人の五分の三であると言っているようなものである。いわゆる「五分の三条項」。本作のタイトルはそれを暗示する。
もちろん、すでに廃止されている条項ではあるが、根強い人種差別はなお解決からは遠い。

本作が描く1995年は、黒人フットボールスター選手であったO.J.シンプソンが白人の元妻ニコールを殺したとする裁判の真っ只中だった。有名人の事件であり、黒人の容疑者と白人の被害者という構図もあり、アメリカでは大きな注目を集めた事件である。
主人公のボビーは母子家庭で貧困にあえぐ青年である。母はアル中、親子とも飲食店で働いてはいるが、働いても働いても満足に家賃も払えない。
親友だったアーロンは道を踏み外して刑務所行きになり、苛酷な経験を経て、白人至上主義者になって仮釈放されてきた。ボビーはこれに恐怖する。隠してはきたが、実はボビーには黒人の血が流れていたのだ。母は白人だが、父は黒人。そのことを知ったのは中学生の頃だったが、ボビーはそれを誰にも言えずにいた。

かつてはアーロンをボビーが守ってやる役回りだったが、刑務所帰りのアーロンはすっかり粗暴になっており、立場は逆転していた。仮釈放されたその日、アーロンはボビーを伴ってピザをテイクアウトした先で、小競り合いを起こし、黒人青年を激しく殴打する。アーロンの勢いに押されて、ボビーは車を急発進させてしまい、結果的にアーロンの逃走に手を貸す形になってしまう。

黒人青年を見殺しにした罪の意識。
アーロンに自分の出自を知られたらどうなるかという恐怖。
ボビーの逡巡を軸に、自暴自棄になっているアーロン、貧困層から抜け出せない母イザベル、実はボビーの父である黒人医師ロバート、ボビーの店で働き始めた新人ミシェルらの人生が交錯する。
一応、クライム・ノヴェルという括りなのだが、犯罪ものというよりも、白人と黒人の血を引く普通の青年の心理を丁寧に追う作品である。同時に、生活苦に喘ぐ酒浸りの母や、比較的裕福ではあるがいつも黒人である負い目を感じているロバート、そして黒人と白人という区別に苛立つさばさばしたミシェルなど、さまざまな立ち位置の人物が配されて、立体感のある作品となっている。
著者自身が学生時代を過ごしたピッツバーグの貧困地区の荒廃は痛ましく、かつては栄えた街の無残な姿を映し出す。

悩み迷い傷つくボビーの姿は、1995年もそして今も変わらずに米国が抱える、出自とアイデンティティの問題を突きつける。
何とか難事を切り抜けてほしいとはらはら見守る読者の願いとは裏腹に、物語の結末は甘くない。登場人物の1人が最後に慟哭する。その涙は何かを浄化するのだろうか。
苛酷な現実。変わらない事態。それでもどこかに希望は見えるのか。物語が幕を閉じても、問いは巡り続ける。

(レビュー:ぽんきち

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

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白が5なら、黒は3

白が5なら、黒は3

青年は隠すしかなかった。自身に黒人の血が流れていることを。
BLM運動で揺れるアメリカの新鋭作家が放つ、差別の構造を浮き彫りにするクライム・ノヴェル。

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